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5 7月
結論から言うと、MITの石井先生(何度かここでも紹介してる“タンジブル”の人)の話を聞けて、神戸大の塚本先生(ちょっと前によくTVに出てたウェアラブルの人)に会えただけで、参加した価値はあったかなと。
以下、石井先生の言葉から一部を。(註:表現は正確ではありませんし、筆者の勝手な解釈が多分に混じっておりますのでそのつもりで。)
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「ユビキタスコンピューティング」
なんてのはもうとっくに「終わって」いる。Mark Weiser が最初に提唱した理念を誰も理解していないし(そのため、彼は後に「Calm Technology」という言葉を用いるようになった)、未だその実現には程遠い。
「技術」→「必要(性)」→「概念」
「技術」は数年で消えてなくなる。(「今」それが必要なのは認めるとしても)。一方(哲学に基づいた)「コンセプト/ビジョン/プリンシプル」は、これからの数百年を変える。同じ一生を費やすなら、あなたはどちらに取り組むか。
「Digital」と「Physical」
の関係→卓球。ラケットは見えていてはいけない(体の一部になるまで使いこなせ)し、しかし、ピン球は見えなければ(それも「たまに見える」ではなく、常に必ず見えなければ)ならない。そして「どっちも必要」。
「目的」
その技術を育てることが、そのニーズに応えることが、そのコンセプトを実現することが、誰をどのように幸せにするのか。
我々はGeekだ──人が、空気が薄いと息苦しいように、Wi-Fiが飛んでいないと息苦しい(会場爆笑w)──が、そうでない人たち、Wi-Fiがなくても生きていける(そんなもの必要ない)人たちに対して、我々は何を提供できるのか。しようとしているのか。
「Why」
を3度繰り返され、3度繰り返し答えられたら、その人の哲学が見えてくる。
「死後」
・XX年後、自分はもういない。
・100年後、今生きている人はもう誰もいない。
・200年後に何が遺っているか(何を遺せるか)。
・1000年後は?
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ただ、勘違いしちゃいけないのは、──高校球児と松井秀喜との関係のように──彼ら(石井先生・松井選手)を目標にしているようではお話にならないのだということ。(彼らに憧れこそすれ)。僕らは彼らを「超え」(ようとし)なければならない。
おまけの名言:「もし、論文がどの学会にも通らなかったら、ハリウッドに持って行け」
(「マイノリティ・レポート」で表現された実物的ヒューマンインターフェースのアイデアはメディアラボで生まれたものだが、その原点となっている論文は、各学会にことごとくリジェクトされたという。)
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