あちこち調整中。不具合はご容赦下さい。
5 8月
すごく今更感の漂う話題ですが.
以下の条件を満たすユーザの場合,フリーソフト「アドレスさん for iPhone」を利用することによって,フリガナ付き&複数アドレス・番号保持のまま,アドレス帳をiPhoneにコピーすることができる.
【条件】
【この方法を使うメリット】
【手順】
【注意事項】
3 8月
自分のブログというのも,作り上げるのは楽しいけれど,メンテナンスしていくのは面倒くさいよね.
という感じで,これまでのかなりの数のメジャーアップデートをスルーし続けていたのですが,この週末に重い腰を上げてようやくアップデートを決行.
でもって,中身だけ変わってもありがたみが無いので,思い切ってテーマも変えてみた.今回使わせてもらっているテーマは「Illacrimo Theme」.

併せて,iPhone/iPod touch用のテーマに自動的に切り替えてくれるプラグイン「WPtouch」も導入.

ちなみに,ガラパゴスケータイからのアクセスに対しては,以前から「Ktai Style」プラグインによる表示を行っている.

まぁ,だから何だっていう話題なのですが,今後とも,いつでもどこでも, detourist.net をどうかよろしくってことで.
2 8月
サマーウォーズ

(C)2009 SUMMER WARS FILM PARTNERS
監督 細田守
製作総指揮 奥田誠治
脚本 奥寺佐渡子
よろしくお願いしまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁす!
* * *
総括すると,筆者好みの雰囲気で大変良かった.登場人物の性格,背景美術の清々しさが実に夏休み映画らしい.あと,松本晃彦のサントラと山下達郎の主題歌だけで号泣できる.
ストーリーとしては,端的に言うと『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』の焼き直し.ただし,今回世界の危機に立ち向かうのは,90歳の大お祖母ちゃんからお腹の中の赤ちゃんまでを含めたとある大家族である.
【家族】
というのはまぁ観てもらってのとおりなので,ここでは自分の話を.
うちの曾ばあちゃんも結構な長寿を全うした人だったので,親類一同を数えるとそれなりの大家族である.子どもの頃はお盆というと,ゆっくり休むどころか掃除に手伝いにとあれこれ働かされるものだという認識だった.ただ,生きている限り寿命からは逃れられないわけで.こうして世代が進むにつれ,全員で集まる機会というのは無くなってしまう.残っている方ももう移動するだけで一苦労だし.
そもそも自分が,大学に進んで地元を離れた結果として,そういうものから疎遠になってきた訳であるが,だからといって,「(こういう人間関係などの)田舎の息苦しさから逃げ出して,身勝手にもそれを羨望している人たち」だというように思われることがあれば,それは心外である.
そうしてふと気が付くと,もう,次の世代が増えていかねばという年になっているのだな.まったく,長男坊は何処で何をしているのだ・・・・・・あ,俺だ.
注意:以下,ネタバレは避けているものの,物語の本質についての言及があります
【広がった電子世界と,現実世界の非対応】
さて,本題.
「ウォーゲーム」では,「世界中と繋がった電子世界」を舞台としながらも,そこに登場するのは「子ども達」だけであった.(これはデジモン自体の世界観なので良し悪しを言うつもりはない).それ故,関係者があれだけ少なくても物語として成り立っていた.というように記憶している.
一方,舞台が「サマーウォーズ」ほどの規模になり,現実世界の文字通り誰もがその世界の登場人物となりうる環境となったときに,本作のように,高々一家族で世界を救ってしてしまえるかというと,ここに個人的な引っ掛かりを禁じ得ない.
キャラクター,設定,演出など,部分部分は大変魅力的なアニメであるだけに,この違和感が際だつ.
【「一体感」の演出】
強いて言うと,「一体感」(の演出).
テーマが「繋がり」であるにも関わらず,重要なところでみんな,結局一人で闘っている.いや,正確に言うと,一人で闘わざるを得ない世界になってしまっている.
もちろん,それぞれの役割分担とか,座敷での一体感とか,「元気玉」(オラに力を(ry)的な協力はあるのだけれど,もうちょっと踏み込んだ演出はできなかったものか.むしろ役割分担を分担させすぎたのが原因か.
力を合わせる者が「同じ」場所にいなければならない理由.
そこさえ強められれば,健二の,主人公としての役割も高まり,存在感(と言うか,必要性?)も強められたのではないかと,ふと思ったのだった.
(例えば,二人が手を繋ぐ場面なんて象徴的なシーンだけど,あれを,あそこではなく,勝負の鍵にできる方法はなかったかなど.これはこれで,強調しすぎると白けてしまう危険性はあるけれど.)
【個人的に】
あと,科学的・技術的演出は演出と割り切ってスルーできるのだけど,社会的・政治的な非現実さは観ていて非常にもどかしいことに気付いたりした.なんちゃって理系人間を自負してきただけに我ながら意外である.
僕としては,子どもの頃はむしろ佐久間が籠もっていたあの部室のような環境に憧れ,大学のサークル・研究室でそれを実体験し,社会人となった今,リアルなコミュニケーションに指向が回帰してきたちょうどそのタイミングであったという点で,本作を観るタイミングとしては最適だったと思う.このお盆には,夏休み取って実家に帰ります.