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24 2月
原作・脚本・監督: 新海誠
キャラクターデザイン・総作画監督: 田澤潮
美術: 丹治匠・新海誠
音楽: 天門
製作・配給: コミックス・ウェーブ
あの遠い日に 僕たちは、
かなえられない約束をした。
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[総感]
よくあるセカイ系作品だと、言ってしまえばそれまでだけど。だけど期待は裏切らない。
[フィクションにおけるリアリティー]
これら「セカイ系」と言われる作品の最大の弱点は、世界が狭すぎることにある。へたをすると、世界には主人公とヒロインの2人しかいない(苦笑)。んで、そんな作品の登場人物に易々と感情移入できるかというと自分はそうではない。
例えば、僕がゴジラシリーズよりもガメラシリーズ(ただし平成版)の方が好きだったのは、“社会的な”リアリティを十分感じることができたからだ。前者では、日本国の防衛機関はゴジラを「見守る」のが仕事(爆)だが、後者は、あくまでも自衛隊が怪獣退治の責を負うのだという意識が登場人物達にある。ガメラの世界では、人を守るのは人の仕事であって怪獣の役目ではない。※1
もう一つ例を挙げれば、コミックス版「風の谷のナウシカ」で、全編に渡って関わりを持つあの強大なトルメキア帝国よりも、地味(?とは違うけど他の言葉が見つからない)なドルク連合の方に政治体制のリアリティを感じられるのは、官僚の存在や国政と宗教の蜜月と対立などが嫌味なまでにリアルに描かれているからだ。※2
要するに、作品にリアリティーを持たせるには物語の「周辺」の描写が必要不可欠だと。(もちろん、そんな設定を入れようとすれば「本質ではない部分」に時間をとられるわけで、そのバランスは難しいところがあるが。)
本作は、その辺、しっかり描き込まれているなという印象。少なくとも、描き込もうとする制作者の意図は伝わってくるかと。
※1 もっとも、初対面の地球外生命体を人類の味方だor敵だだと安易には断定しなかった点で、ウ○トラマンの世界の住人より両作品の住人の方がよっぽど信用できる
※2 というのは野口悠紀夫氏の受け売りなのだけどw
※蛇足:ここまで書いて、特撮物はもう観られないなーと感じている自分に気付く。アニメについてはこうもアホみたくおおっぴらにしてるのに(自嘲)
[ストーリーとシナリオ]
んで、しっかりと確立した「世界観」からストーリーが組まれている(と僕は感じた)本作であるが、そのストーリーから切り出した「シナリオ」(作品内で描写されている部分)※3については、まだちょっと甘いかなと。
(ここんとこ、ほんとはもっと具体的に書かなきゃなんですがあんまり覚えてないんでごめんなさい。)
画についても、カットの一つ一つはすごく綺麗なんだけど――逆光を強調するその絵は個人的には大変に好きなんだけど――、それをちょこまかちょこまか切り替えられて右へ左へ視点が動いて延々瞳孔を刺激させられるのを観ていると、まだまだこれからに期待ですかねぇー。(って、てめー(自分)何様だっ(怒
※3 このあたりの言葉の定義はdetourist独自仕様ですので念のため
[主題]
つーことで、 よ う や く 標題の話。「彼女」か、「世界」か――あるいは「自分」か。
物語はサユリの目覚めと世界の収束によって終わる。が、彼女が眠っていた間に近づいていた主人公と彼女との距離も、喪失されてしまう。結局のところ、「彼」と「彼女」にとってはスタート地点に戻っただけで、何もプラスにはなっていないのだ。
もし、自分の人生を生き抜く気があるなら、迷わず「自分」の世界を守るべきであり、それをできなかった「彼」は、今後ずっと、取り返したはずの「彼女」の中に彼が失った「彼女」を見るのであって、果たしてハッピーエンドにはなり得ない。※5
(日本語に直す(苦笑)と、「彼が救った「彼女」は、彼が救ったことによって「彼女」ではなくなった。」ということでおk?)
なのだけど、失ったからこそ、それを自分の中に留め続ける権利を得るのかも。とも思った。
※5 もちろん、「別の」ハッピーエンドは有り得るかもしれない(有り得ると信じたい)けど。
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関連サイト
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勝手にオススメ作品:あの夏の日のノスタルジー
関連作品
※6 映画中で引用されてた部分だけならあの朗読で非常にいいと思うのだけど、この詩そのものの背景を考えると、そう朗らかに読むのはちょっと違うんでないかと小一時間(ry。国語と言えば、亀ちゃん(高校時代の国語の先生)は元気かなぁ~