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30 9月
映画 「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」
久しぶりにテレビを点けたらたまたまやってたので簡単に。
ここでの主題であるノスタルジー論争には正直興味はない。20代学生の筆者にとって、大阪万博は教科書上の出来事にしか過ぎず、家族(子ども)に対する思い入れがあるわけでもなく、むしろ(この映画の中での定義に沿うと)大人でも子どもでもないことに疎外感すら感じる※。
(そうは言っても、「懐かしいって、そんなにいいことなのかなあ?」という風間くんの一言が、懐古主義(このブログを読んでもらってればわかると思いますが)の筆者の胸に突き刺さるのだ。ぐはっ。)
ただ、この映画を観て涙を禁じ得ないのは、
「死なせない演出」
ラストシーン。大人たちを惑わした悪党のボス(ケン)とその連れ(チャコ)が、タワーから飛び降りようとする。足を踏み出そうとしたその刹那、足下から二人に襲いかかってくる鳩。(その足下には鳩の巣があり、雛がいた)。後ずさる二人。風・・・。「死にたくないっ・・・」(チャコ)。「──また、家族に邪魔された」(ケン)。
世の中フィクションなのをいいことにバッサバッサと人を殺し過ぎなことに不満タラタラなのだが(いったい一日に何人死んでんだよ)、逆に「死なせない」のがいかに難しいか、そしてその覚悟が自分にあるかと考えさせられる。
覚悟して生きろ。
多少他人(鳩)任せな感もするが、下手に言葉にしなくても(しない方がより強く)伝えることはできるんだよ、と。(ゲド○記の中の人に爪の垢を煎じて(ry )
※しかし20代というこの年が、人生の中でこういうテーマから最も離れている時期であるにも関わらず、何故か頬を伝う熱いモノが止まらないのだ。
あつし 2006-10-01 @ 14:08
テレビでやるなら、僕の見てくれでアニメコーナーに入るなんて恥ずかしい思いしてビッグベンで借りるんじゃなかったよ・・・。
文 2006-10-01 @ 20:13
ドンマイ(*´∀`)b
30 9月
ご要望(?)にお応え(? 疑問形というよりむしろ懐疑形)して、ハチクロ かんそーぶん。
※時間の無駄なので読まなくていいです(苦笑
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で、なんだかんだで10回以上は読みましたよ。(THX>amie & makichie)
読むたびにダメージ受けてますよ。(爆
なんつーか、
もう、
悶 え 死 に そ う ・ ・ ・ (どーん
縁あって一緒になったんだ──だから、ちゃんとあんたらの人生にかかわらせて欲しいだけなんだ
(chapter.32)
あたりに激しく同意したりしたけど、それ以上はあまりにあれで引用すらはばかられるので勘弁してちょ。(例えばchapter.15とか26とか53とか。)
一応批評っぽい批評もしておくと、どうしてこういう人たちってこういうふうに描かれないといけないのかなーというような、「美大という一般の人々からは少し離れたところにいる人間に対するイメージ」が良くも悪くも(オーソドックスに)表れているマンガかなという印象。
部分部分はものすごく共感できるんだけど。設定とか展開とか範囲とかさすがに、それで大学生には見えませんから(いろんな面で)。ま、割り切っちゃうしかないのか。
あと、処女連載作ということで、いかにも少女マンガ的なコマ割り・微表情・展開にどっぷり漬かってなかったところが救い。(全く戸惑い・違和感がなかった訳ではないが)。そうじゃなかったらたぶん読ま(め)なかったかな~。
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先に映画版レビューの方で、他人の才能は基本的に信頼しないなんて言ってた(明言はしてないけどサブタイトルにそんな意味を含ませた)のは、それを認めてしまうと絶対に自分が勝てないから。なんだけど、そんなこと言ってるときっとぶん殴られる(苦笑)。「みんな多分そう思ってるよ。で、全員で彼女を遠まきにするんだ(chapter.58)」。
もちろん、その才能の陰にはそれだけの努力があるのだろうけど、凡人はそれを認めるわけにはいかないんだ。認めてしまうと、(絶対敵わないということを知っているから)勝負すら避けてしまう。それは、勝負に負けて泣くよりも悔しい。
でもねー、見えるからね。才能も、そのための努力も。(自分以外の人がそれを認めるかどうかは別として)。で、そういうところを見てしまうと、やっぱりすげぇなと思わずにはいれらないわけで。しかも、僕に見えるのは才能の・努力の「ごく一部」でしかない。
悔しいかな、僕は自分にそんな一生懸命にはなれない。
ちくしょー、負けてたまるかーーー。
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まだ読みます?
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結末。結末なぁ~。これはこれで「妥当」だと思うし「想定内」ではあったけど(ぶっちゃけ、 「 覚 悟 」 し て た け ど )、そんなんで「納得」できるかぁぁぁぁぁっっっ。そんなの、だったら、初めから2人で幸せにやってればよかったのに・・・。
もちろん、その間にあったあれこれが、一人一人にとって十分意味のあった出来事であったことは理解する。だからって、自分にとって意味があったなら、それはそれだけで満足なの? 満足できるの? いやー、言い訳だよぉ。
(って思ってるってことは、花本センセ視点で読んではいなかったと。いうことか、な?)
こういう切なさなら 「 H 2 」 の 方 が 何 倍 切 な か ろ う か と 思ったり思わなかったり。(注:当然、原作での話。ドラマ?そんなの無いから・苦)
つーか、てめぇらふざけんな
結局、*本人に面と向かって*ちゃんと好きだっつったのは竹本だけじゃねーか(たぶん)。
あいつには言うなだとか、知らんで決めて欲しいだとか、綺麗事並べて逃げてるだけだろ。それで選ばれなかった時にははいそうですかって納得できんの? できねーよ。する気もないくせに。
甘えたこと抜かしてんなっ
( ゚д゚) コノオオバカヤロウ」ト
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_カタカタ
\/ /
( ゚д゚) ・・・
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
( ゚д゚ ) ・・・
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
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さて、ちょっと首吊ってきます(うん、いろいろ思い出した orz )
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そろそろ飽きてきましたね?
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何はともあれ、全編を通して、彼らが「愛」がどーとかと勘違いしたことを言うことなく、素直に「恋」だと言ってるところには大変に共感できる。
で、ここでバッサリぶった斬ってしまうと、「恋」なだけならそんな深刻になんなくてもいいはずなんだよな。現実問題。
(↑ネタバレしちゃうと、そこが決定的な「超えられない壁」だったわけで。そりゃー、だって、勝ち目は無いわな。)
そもそも「愛してる」なんていう言葉は言葉自体が無意味な一方、「好きだ」ってことは逆に伝えてなんぼ。恋は愛へのステップになりうるけど愛は恋を前提としていないから「恋愛」としての(以下略。続きは酒の席ででも。)
無条件の愛ってのもなかなか胡散臭いけどなー(単に自分ができないから信じられないだけ)。
※ただ、僕の恋愛観はやたら他人行儀だと誰かさんらから指摘されるぐらいのものなので、恣意的に距離をおこうとしている感は否めない。尤も、その指摘は確かにそうなんだよ。自分でわざとハードル高くしてんだよ。そうやって周りには出さないようにしてるんだよ。(・・・出してないハズだと勝手に思ってんですが。出てないですよね? ね? ねぇ?)
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いやもう、ほんと読まなくていいから。
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えーと、待て待て、まとめよう。男どもの言い分(想い)はわかった、が、本人のそれはどないやねん。
なんかそういうものとはまったく別の次元で彼らと接してる気がするのは単にキャラクター設定のせい? このタッチのせい? それとも何か、こっちの勝手な(誰にも答えないであげて欲しいという)願望?
(蛇足。夏目漱石は、「I love you.」というセリフを「あなたを愛しています」と訳した生徒に対して、「日本語にそんな言葉はない。『月がきれいですね』とでも訳しておきなさい。それで通じるから」と言ったとか言わなかったとか。これを「死んでもいいわ」と訳したのは誰だっけなぁ~。)
で、この中の誰かに感情移入する隙もないくらい、ここには僕(のようなタイプの人間)の居場所は無いのだ。もっとも、第三者的に見ようとしてるからそんな好き勝手なことが言えるのだというのは正解。
結局の所、 み ん な 正 し い という無難な結論に落ち着くチキンな僕。
じゃぁ、てめーの言う「愛」ってなんなのさ。という真っ当な疑問を持たれた方には「プラネテス」をお勧め。
ただ、原作(漫画)の方は「何事にも勝る(真の)『愛』」なので高尚過ぎる気も。「人生のごたごたの中でもう邪魔で邪魔でしょうがないんだけどどうしてか捨てることのできない『愛』」について考えさせられるアニメ版の方が僕は好きだ。(半分ぐらいは落としてきたから手元にあrうわなにをするやm)
つーかね、個人的にはその辺(愛がどうとか恋がどうとかいう話)はもう超越しちゃったつもりだったんだけど、
なんつーかなんつーか
うはーん(号泣(言えてない
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なんだかんだとテケトーなことを書いたものの、学生時代、こうやって仲間とワイワイできる時間が人生の中でどんなに貴重かということを改めて痛感させてくれる、いい作品だと思った。(最後に一言フォローすればすべてが許されると思ってる勘違い野郎。)
ただ、最後にこれだけはハッキリ言ぅとくぞー。
花本ぉーー! お前ー、はg\うqr有為@mq4ん(ry
(このネタ、分かってくれる人いるかなー。tomorow※なら分かってくれるかなー。)
※関西の人。要はつまり、吉本を見て育った人。
こっちへ来て、こういうベタなネタが通じないのが結構寂しかったりする。
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(まさかの3,200字。ヨユーの字数超過で採点対象外だね(苦笑))
BlogPetの蜜柑丸 2006-09-30 @ 12:41
関西でステップや疑問形とか、無い想いなどできないから信じられないだけ
文は、出来事とか勝てないから
誰かなどを指摘したかったの♪
(吉本のネタがたった今分かった岐阜育ち) 2006-10-02 @ 1:15
あのとき、「ああ、忙しい文さんに無茶なお願いをしてしまった…」
と後悔していたら…
( ゚д゚) ゥ ェ エ!?
超過したのは字数だけじゃなくその溢れる想いまでも ですね☆
読み込むのに二日かかってしまいましたよ。
そしてまだ飲み込めてないのではないかと。
>第三者的
ふむふむ。竹本くんが第一者で、森田さんが第二者で
文さんが第(ry (←カウントの仕方がおかしい)
>あいつには言うなだとか、知らんで決めて欲しいだとか
優しすぎるのかなーと自分では解釈しました。
ハチクロの中の人ってみんな優しくて、
あの意地悪わがままな森田さんですら優しくて
真山とかもむかつくくらい優しくて
(中略)
すみません、私も屋上から飛び降りてみていいですか?(´Д⊂
文 2006-10-02 @ 16:52
>蜜柑
>文 は 、 出 来 事 と か 勝 て な い か ら
>誰 か な ど を 指 摘 し た か っ た の ♪
うるせーそのとおりだよバカー(ってこのコメント、ほんとに自動生成ですか?)
>(いちおう、名無しさんということに)
いやいや、きっと書くなと言われてでも書いてたろうから大丈夫だ( ̄▽ ̄
>第三
あー、たぶんそんな解釈で正しいかと(爆
手をこまねいている間に物語自体が終わっちゃうダメダメっぷり(←自覚してるのがさらにダメダメ(←開き直ってるのが致命的にダメダメ・・・
>優しさ
だということはもちろん認める。でもそれって結局(うは、こんなとこに書けませんごめんなさい)
で、吉本ネタも岐阜までは通じると。〆( ̄ω ̄ メモメモ
25 8月
「ゲド戦記」 2006.二馬力・GNDHDDT.監督:宮崎吾朗
何かと話題のゲド戦記。まぁ、映画館で観ることはないだろうなと思っていたのが、ひょんなことから観るはめに。
結論:いや、そんなひどくねーよ?
そりゃぁ揚げ足取ることはなんぼでもできるわけですけど、みんなが「こんな糞映画20点にもならねぇ」と酷評するもんだから、「だったら一般的な評価として30点は堅いな、万が一ひょっとしてひょっとしたら40点ぐらい付けられるかもな」と思っていたら50点だよビックリだよ。といった感じ。(それでも50点か…( ̄ー ̄;)
とりわけ、オープニングは上出来だろう。
一番残念なのは、やっぱり(予告CMを観た人はきっとそう思うと思う)、キャラクターが作品の主題をベラベラしゃべりすぎてる点※2。もともとメッセージ色の強い原作をメッセージ丸出しのまま物語にしてしまったところに、脚本の弱さが表れているような。せっかくいいことも言ってるのに他のセリフに埋もれてしまってる。 演 説 や め れ (苦笑
あれもこれもと欲張るからややこしくなるんだ。このシナリオでやるのなら、クライマックスで強調されてる「(「生」ではなく「命」の)亡者の醜さ」※3を一番のメッセージにできるはずだから、それに絞っていた方が展開としてはわかりやすくできたんじゃなかろうか。この程度の問題提起(「世界の均衡が崩れている」とかいうやつ)なら、言われるまでもないし。などと、 素 人 は 好 き 勝 手 な こ と を 言 う w
そして、 あ の ラ ス ト 。
確かに突っ込みどころと言うか、(苦笑)と言うか、えーーーって感は否めないが、僕としては単に、そういう落ちに逃げたゴローちゃんに不満だ。だから、商業映画用に用意したそれなりにそれっぽい落ちとしては、ありっちゃありなんじゃね?(僕は不満だが。)
原作者も不満タラタラのようだけど(今更何言ってんだという気もする)、むしろ、まだまだ原作を捨てきれなかった感。過去の話もいらないって。
※2 子ども向けだと割り切ればそれでいいのかもしれないけど、そう考えるとこんどは言葉や言い回しが難しすぎる。ターゲット層が不明確。
※3 もっとも個人的には、そういう「執念」から来るエネルギーも、生きていくのに大切なものなんじゃなかろうかと思ったりもするのだが。
サブキャラの表情豊かなあたり、ジブリらしいなとは思いつつ、それに比べちゃ主人公周辺は酷くないか?と言うか、得意な表情と下手な表情がこんなに明確にわかれるとは…などと突っ込んでもみたけれど、総じて画は綺麗だ。特に、ああいう夜空(明るめの星空の下で雲が白く浮かんでるような)は好きだなー。※4
※4 動画と背景では担当が全く異なることは承知の上での発言。
さて、賛否両論の宮崎吾朗監督。彼が監督という役に就いたことについてはあれこれ議論されているけれど、このへんで言ってた※5ように、息子だからこそ宮崎駿の跡を継ぐことができたんだというのは正しいのだろう。
これは、映画作りの技術継承どうこうという問題ではなく、「株式会社スタジオジブリ」存続の問題なのだ。
よって、別監督の作品に「宮崎駿」を求めて(そして期待と違うと言って)扱き下ろす批評はナンセンスであるが、ジブリは「宮崎駿」の再生産のために後継者を立ててこの作品に臨んだという背景を考えれば、そういう議論が出てきたことがジブリにとっての成功だ。(ここ、何度も読むように。)
ま、新人監督を育てようと思っても駿君がしゃしゃり出てきて潰しちゃうってのは結構な有名な話で、でもそうやってジブリが成功してきたことを考えると、スタジオジブリ=宮崎駿※6のままピリオドを打つ方がいいのかも。それができないのは商業映画の宿命か。
※5 特に注:過去形。ここで根拠としている『「ゲド戦記」についての暴言』(『岡田斗司夫の暴論暴言!』より)からの引用部は既に削除されています。要旨は「宮崎駿を理想とするアニメーターはその本人からぼろくそに否定されることに耐え切れずジブリを去っていったが、幼少の頃より否定され続けてきた吾朗監督は、そうしたプレッシャーを受け流す術を持っていた」という話。鈴木プロデューサーの本音も垣間見える。
※6 忘れちゃいけない。僕は高畑さんのリアリティ指向も好きだよ。(狸合戦のタヌキ社会を思って泣ける(哀悼ではなく、羨望)ぐらいwww)
それでも、やっぱり観客は「(これまでの流れを汲んだ)ジブリ映画」として観ちゃうんだよね。
そして、そう観ると、 こ れ は ひ ど い 。ということになるのだけどそんな議論はナンセンスだというのは上で述べたとおり。
ただ、よっぽどシリアスでよっぽど自信のあるシナリオでない限り、クスッと笑えるようなシーンはどんな映画にも必要だと思うんだ。思うんです。そこんところ宮崎駿が上手いのは、キャラクター設定の緻密さ(彼らは実に活き活きしている)と、対象としている少年少女の心をつかむ主人公の立ち振る舞い(ここまでが主語)を意図的に作り出せるところにあるのではなかろうか。まぁ、商業作品としてそんなの当たり前じゃんと言ってしまえばそれまで。(でもこの世の中、視聴者に対して彼ほど関心を持っている制作者がどれだけいるのだろう。昨今のテレビを観てるとかなり疑わしい。)(「自己満足の作品が全く無価値だ」などと言うつもりはないので念のため。)
ま、なんだかんだ言っても(言われても)、ジブリだってことで人は入るし、上映館も多いし、海外への配給も決まってるし、コケることはないだろう。その点、出来不出来どころか話題にすら上らない「ブレイブ・ストーリー」は負けぐm(ry
#yasufumi 2006-08-25 @ 11:39
最後に女の子がドラゴラムを使うあたりがドラクエファンとしてはたまらないデキだったねww
#文 2006-08-25 @ 15:52
ちょwwネタバレwwww
# あつし 2006-08-25 @ 19:55
>キャラクターが作品の主題をベラベラしゃべりすぎてる点。
もうこれほんとに怒涛のように・・・。
それにしても今夏のアニメ映画は「カーズ」のひとり勝ちだと思ってたのに、やっぱりジブリは強いね。
ブレイブ・ストーリーを観る気はn(ry
#文 2006-08-25 @ 21:09
まぁしかし、いろいろ喋ってくれたおかげで制作者の意図は伝わってきたぞ。という超善意解釈。
ブレイブ~はもう、知らないうちに上映期間終わっちゃってたよ。
#ko 2006-08-25 @ 23:12
なあ、時はかけないのかい。
# 文 2006-08-26 @ 14:17
院試乙。
時かけは逆にネット評高すぎて観る気しなさす…
なんて言いながら、自分の目で確かめないとダメだってのはゲドで再確認させられてんだけどw
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http://www.cineplex.co.jp/tsukuba/movie/15381/index.htm