あちこち調整中。不具合はご容赦下さい。
21 7月
「時をかける少女」 ()
製作総指揮: 角川歴彦
監督: 細田守
脚本: 奥寺佐渡子
音楽: 吉田潔
制作: マッドハウス
配給: 角川ヘラルド映画
Time waits for no one.
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イイヨー 若さ故の戸惑い,イイヨー(´∀`)
と言うか,たとえ短絡的な考えの結果としてであっても,行動に移せるそのエネルギーが,年の差のせいか性格の違いのせいかはともかくとして,素直に羨ましい.
転がるわ跳ぶわ飛ぶわ.こういう,有り余るエネルギーが滲み出てくるキャラクターには,ほんと元気づけられるなぁ(号泣
シナリオは良く言えばオーソドックス悪く言えばありきたり.確かにご都合主義な辻褄合わせもあるように見えるけど,脇の設定をこれ以上広げてたらたぶん何も伝わらない映画になってしまってたと思う.(言ってしまえばつまり雰囲気アニメなんだけど,その雰囲気に見事に呑まれた.)
ともかく,演出は神がかってるし心情表現は秀逸.分かりやすさというのは場合によってはただの押しつけに感じられる危険性もあるけど,それほどまでに正しく(齟齬なく)伝えるのはかなり難しい.
あと,テーマとしてはおまけのおまけぐらいなんだろうけど,進路に悩む中高生に観てほしい作品.きっかけなんてほんとちょっとしたことでいいんだけど,その年でそれを見つけられる幸せな※子はほんの一握りだ. (そういった面では「耳をすませば」なんかが王道だが,こっち(「時かけ」)は20を越えたおっさんが観ても,それ(「耳すま」)ほど気恥ずかしくない.(これ結構重要w))
※本人の努力の結果なんだからこういう言い方は失礼か.
個人的には,どんな作品にしろ解説者(ここでの魔女おばさん)の存在は許せないのだけど,彼女が原作(本作はその20年後の話という設定)のヒロインだという設定は試みとしては面白い.
安易な未来像も若干マイナスポイントだけど,まぁ,それは本題ではないからいいや.
さぁ,夏だ!
(ってもう夏休み3分の1過ぎちゃったよ?どうするよ!)
11 7月
『数学ガール』
著者: 結城浩
出版: ソフトバンククリエイティブ
分野: 数学(全般)
学期末を乗り越えるたびに本屋で散財するのは悪い癖だ.
さて,本書はもともと著者のWebサイトで公開されていた読み物を元にした書き下ろし.3人の高校生(「1人の少年と2人の少女」と言えばもう,話がどうなるかはご想像の通りであるw)が問題を出し合い,解き合い,教え合う中で,数学の「本質」に触れていく青春ノベル.
数学をこよなく愛する人でも,スウガクと聞いただけで身の毛のよだつような人でも,それぞれに「問題を見つけること」や「問題を解くプロセスを考えること」の面白さに気づき,感じることができるのではないかと思う.
と言うか,本書のことをもっと知りたければ出版記念インタビュー記事を読んでください.そして,本書を読んでください(^^;
大切なのは,自ら学ぶことの意味と,一緒に学ぶことのできる友人の大切さに気づけること.なんじゃないかなと僕は思っている.
あと,この手の本としては高校のときに読んだ『数の悪魔』もとっつきやすくてオススメかと.
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(
もっとも,こういった「主人公が学んでいく過程を読者に共有させようとする」物語は,個人的にはかなり「構えて」しまってあまり楽しめない.
と言うのは,どこかうまい具合にだまされているんじゃないかという疑惑がぬぐえない(「数学ガール」は数学的に厳密なのでそうでないとしても,ビジネス(「The Goal」とか)や自己啓発(「自分の小さな「箱」から脱出する方法」とか)のこういった話になると,こちらはもはや不信感の塊である)のと,自分は彼らみたいには優秀で物分かりよくないというのを嫌というほど思い知らされるから.
それでも,いいこと書いてあったり勉強になったりするから困るんだ(苦笑)
)
[関連]
BlogPetの蜜柑丸 : 2007-07-11 (水) – 12:16
あっ、数学のはなし!!
リョウ : 2007-07-11 (水) – 12:27
森博嗣とかそうだけど、
著者の考えを主人公を通して読者に押し付けたがる本もたまにあるよね。
娯楽本の顔した啓発本。
文 : 2007-07-11 (水) – 23:19
>蜜柑
興味あるん?(笑
>リョウ
まぁ,それはそれで全然いいんやけどね.
面 白 け れ ば .( ̄ー ̄)
24 2月
原作・脚本・監督: 新海誠
キャラクターデザイン・総作画監督: 田澤潮
美術: 丹治匠・新海誠
音楽: 天門
製作・配給: コミックス・ウェーブ
あの遠い日に 僕たちは、
かなえられない約束をした。
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[総感]
よくあるセカイ系作品だと、言ってしまえばそれまでだけど。だけど期待は裏切らない。
[フィクションにおけるリアリティー]
これら「セカイ系」と言われる作品の最大の弱点は、世界が狭すぎることにある。へたをすると、世界には主人公とヒロインの2人しかいない(苦笑)。んで、そんな作品の登場人物に易々と感情移入できるかというと自分はそうではない。
例えば、僕がゴジラシリーズよりもガメラシリーズ(ただし平成版)の方が好きだったのは、“社会的な”リアリティを十分感じることができたからだ。前者では、日本国の防衛機関はゴジラを「見守る」のが仕事(爆)だが、後者は、あくまでも自衛隊が怪獣退治の責を負うのだという意識が登場人物達にある。ガメラの世界では、人を守るのは人の仕事であって怪獣の役目ではない。※1
もう一つ例を挙げれば、コミックス版「風の谷のナウシカ」で、全編に渡って関わりを持つあの強大なトルメキア帝国よりも、地味(?とは違うけど他の言葉が見つからない)なドルク連合の方に政治体制のリアリティを感じられるのは、官僚の存在や国政と宗教の蜜月と対立などが嫌味なまでにリアルに描かれているからだ。※2
要するに、作品にリアリティーを持たせるには物語の「周辺」の描写が必要不可欠だと。(もちろん、そんな設定を入れようとすれば「本質ではない部分」に時間をとられるわけで、そのバランスは難しいところがあるが。)
本作は、その辺、しっかり描き込まれているなという印象。少なくとも、描き込もうとする制作者の意図は伝わってくるかと。
※1 もっとも、初対面の地球外生命体を人類の味方だor敵だだと安易には断定しなかった点で、ウ○トラマンの世界の住人より両作品の住人の方がよっぽど信用できる
※2 というのは野口悠紀夫氏の受け売りなのだけどw
※蛇足:ここまで書いて、特撮物はもう観られないなーと感じている自分に気付く。アニメについてはこうもアホみたくおおっぴらにしてるのに(自嘲)
[ストーリーとシナリオ]
んで、しっかりと確立した「世界観」からストーリーが組まれている(と僕は感じた)本作であるが、そのストーリーから切り出した「シナリオ」(作品内で描写されている部分)※3については、まだちょっと甘いかなと。
(ここんとこ、ほんとはもっと具体的に書かなきゃなんですがあんまり覚えてないんでごめんなさい。)
画についても、カットの一つ一つはすごく綺麗なんだけど――逆光を強調するその絵は個人的には大変に好きなんだけど――、それをちょこまかちょこまか切り替えられて右へ左へ視点が動いて延々瞳孔を刺激させられるのを観ていると、まだまだこれからに期待ですかねぇー。(って、てめー(自分)何様だっ(怒
※3 このあたりの言葉の定義はdetourist独自仕様ですので念のため
[主題]
つーことで、 よ う や く 標題の話。「彼女」か、「世界」か――あるいは「自分」か。
物語はサユリの目覚めと世界の収束によって終わる。が、彼女が眠っていた間に近づいていた主人公と彼女との距離も、喪失されてしまう。結局のところ、「彼」と「彼女」にとってはスタート地点に戻っただけで、何もプラスにはなっていないのだ。
もし、自分の人生を生き抜く気があるなら、迷わず「自分」の世界を守るべきであり、それをできなかった「彼」は、今後ずっと、取り返したはずの「彼女」の中に彼が失った「彼女」を見るのであって、果たしてハッピーエンドにはなり得ない。※5
(日本語に直す(苦笑)と、「彼が救った「彼女」は、彼が救ったことによって「彼女」ではなくなった。」ということでおk?)
なのだけど、失ったからこそ、それを自分の中に留め続ける権利を得るのかも。とも思った。
※5 もちろん、「別の」ハッピーエンドは有り得るかもしれない(有り得ると信じたい)けど。
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関連サイト
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勝手にオススメ作品:あの夏の日のノスタルジー
関連作品
※6 映画中で引用されてた部分だけならあの朗読で非常にいいと思うのだけど、この詩そのものの背景を考えると、そう朗らかに読むのはちょっと違うんでないかと小一時間(ry。国語と言えば、亀ちゃん(高校時代の国語の先生)は元気かなぁ~