detourist

あちこち調整中。不具合はご容赦下さい。

Archive for the ‘映画’ Category

サマーウォーズ

summer-wars
(C)2009 SUMMER WARS FILM PARTNERS

監督 細田守
製作総指揮 奥田誠治
脚本 奥寺佐渡子

よろしくお願いしまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁす!

* * *

総括すると,筆者好みの雰囲気で大変良かった.登場人物の性格,背景美術の清々しさが実に夏休み映画らしい.あと,松本晃彦のサントラと山下達郎の主題歌だけで号泣できる.

ストーリーとしては,端的に言うと『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』の焼き直し.ただし,今回世界の危機に立ち向かうのは,90歳の大お祖母ちゃんからお腹の中の赤ちゃんまでを含めたとある大家族である.

【家族】

というのはまぁ観てもらってのとおりなので,ここでは自分の話を.

うちの曾ばあちゃんも結構な長寿を全うした人だったので,親類一同を数えるとそれなりの大家族である.子どもの頃はお盆というと,ゆっくり休むどころか掃除に手伝いにとあれこれ働かされるものだという認識だった.ただ,生きている限り寿命からは逃れられないわけで.こうして世代が進むにつれ,全員で集まる機会というのは無くなってしまう.残っている方ももう移動するだけで一苦労だし.

そもそも自分が,大学に進んで地元を離れた結果として,そういうものから疎遠になってきた訳であるが,だからといって,「(こういう人間関係などの)田舎の息苦しさから逃げ出して,身勝手にもそれを羨望している人たち」だというように思われることがあれば,それは心外である.

そうしてふと気が付くと,もう,次の世代が増えていかねばという年になっているのだな.まったく,長男坊は何処で何をしているのだ・・・・・・あ,俺だ.

 

注意:以下,ネタバレは避けているものの,物語の本質についての言及があります

 

【広がった電子世界と,現実世界の非対応】

さて,本題.

「ウォーゲーム」では,「世界中と繋がった電子世界」を舞台としながらも,そこに登場するのは「子ども達」だけであった.(これはデジモン自体の世界観なので良し悪しを言うつもりはない).それ故,関係者があれだけ少なくても物語として成り立っていた.というように記憶している.

一方,舞台が「サマーウォーズ」ほどの規模になり,現実世界の文字通り誰もがその世界の登場人物となりうる環境となったときに,本作のように,高々一家族で世界を救ってしてしまえるかというと,ここに個人的な引っ掛かりを禁じ得ない.

キャラクター,設定,演出など,部分部分は大変魅力的なアニメであるだけに,この違和感が際だつ.

【「一体感」の演出】

強いて言うと,「一体感」(の演出).

テーマが「繋がり」であるにも関わらず,重要なところでみんな,結局一人で闘っている.いや,正確に言うと,一人で闘わざるを得ない世界になってしまっている.

もちろん,それぞれの役割分担とか,座敷での一体感とか,「元気玉」(オラに力を(ry)的な協力はあるのだけれど,もうちょっと踏み込んだ演出はできなかったものか.むしろ役割分担を分担させすぎたのが原因か.

力を合わせる者が「同じ」場所にいなければならない理由.

そこさえ強められれば,健二の,主人公としての役割も高まり,存在感(と言うか,必要性?)も強められたのではないかと,ふと思ったのだった.

(例えば,二人が手を繋ぐ場面なんて象徴的なシーンだけど,あれを,あそこではなく,勝負の鍵にできる方法はなかったかなど.これはこれで,強調しすぎると白けてしまう危険性はあるけれど.)

【個人的に】

あと,科学的・技術的演出は演出と割り切ってスルーできるのだけど,社会的・政治的な非現実さは観ていて非常にもどかしいことに気付いたりした.なんちゃって理系人間を自負してきただけに我ながら意外である.

僕としては,子どもの頃はむしろ佐久間が籠もっていたあの部室のような環境に憧れ,大学のサークル・研究室でそれを実体験し,社会人となった今,リアルなコミュニケーションに指向が回帰してきたちょうどそのタイミングであったという点で,本作を観るタイミングとしては最適だったと思う.このお盆には,夏休み取って実家に帰ります.

  • 0 Comments
  • Filed under: アニメ, 映画
  • 「時をかける少女」 ()

    製作総指揮: 角川歴彦
    監督: 細田守
    脚本: 奥寺佐渡子

    音楽: 吉田潔
    制作: マッドハウス
    配給: 角川ヘラルド映画

    Time waits for no one.

    -–

    イイヨー 若さ故の戸惑い,イイヨー(´∀`)

    と言うか,たとえ短絡的な考えの結果としてであっても,行動に移せるそのエネルギーが,年の差のせいか性格の違いのせいかはともかくとして,素直に羨ましい.

    転がるわ跳ぶわ飛ぶわ.こういう,有り余るエネルギーが滲み出てくるキャラクターには,ほんと元気づけられるなぁ(号泣

     

    シナリオは良く言えばオーソドックス悪く言えばありきたり.確かにご都合主義な辻褄合わせもあるように見えるけど,脇の設定をこれ以上広げてたらたぶん何も伝わらない映画になってしまってたと思う.(言ってしまえばつまり雰囲気アニメなんだけど,その雰囲気に見事に呑まれた.)

    ともかく,演出は神がかってるし心情表現は秀逸.分かりやすさというのは場合によってはただの押しつけに感じられる危険性もあるけど,それほどまでに正しく(齟齬なく)伝えるのはかなり難しい.

    あと,テーマとしてはおまけのおまけぐらいなんだろうけど,進路に悩む中高生に観てほしい作品.きっかけなんてほんとちょっとしたことでいいんだけど,その年でそれを見つけられる幸せな子はほんの一握りだ. (そういった面では「耳をすませば」なんかが王道だが,こっち(「時かけ」)は20を越えたおっさんが観ても,それ(「耳すま」)ほど気恥ずかしくない.(これ結構重要w))
    ※本人の努力の結果なんだからこういう言い方は失礼か.

    個人的には,どんな作品にしろ解説者(ここでの魔女おばさん)の存在は許せないのだけど,彼女が原作(本作はその20年後の話という設定)のヒロインだという設定は試みとしては面白い.

    安易な未来像も若干マイナスポイントだけど,まぁ,それは本題ではないからいいや.

     

    さぁ,夏だ!

    (ってもう夏休み3分の1過ぎちゃったよ?どうするよ!)

  • 0 Comments
  • Filed under: アニメ, 映画
  • 「雲のむこう、約束の場所」

    原作・脚本・監督: 新海誠
    キャラクターデザイン・総作画監督: 田澤潮
    美術: 丹治匠・新海誠
    音楽: 天門

    製作・配給: コミックス・ウェーブ

    あの遠い日に 僕たちは、
    かなえられない約束をした。

    -–

    [総感]

    よくあるセカイ系作品だと、言ってしまえばそれまでだけど。だけど期待は裏切らない。

     

    [フィクションにおけるリアリティー]

    これら「セカイ系」と言われる作品の最大の弱点は、世界が狭すぎることにある。へたをすると、世界には主人公とヒロインの2人しかいない(苦笑)。んで、そんな作品の登場人物に易々と感情移入できるかというと自分はそうではない。

    例えば、僕がゴジラシリーズよりもガメラシリーズ(ただし平成版)の方が好きだったのは、“社会的な”リアリティを十分感じることができたからだ。前者では、日本国の防衛機関はゴジラを「見守る」のが仕事(爆)だが、後者は、あくまでも自衛隊が怪獣退治の責を負うのだという意識が登場人物達にある。ガメラの世界では、人を守るのは人の仕事であって怪獣の役目ではない。※1

    もう一つ例を挙げれば、コミックス版「風の谷のナウシカ」で、全編に渡って関わりを持つあの強大なトルメキア帝国よりも、地味(?とは違うけど他の言葉が見つからない)なドルク連合の方に政治体制のリアリティを感じられるのは、官僚の存在や国政と宗教の蜜月と対立などが嫌味なまでにリアルに描かれているからだ。※2

    要するに、作品にリアリティーを持たせるには物語の「周辺」の描写が必要不可欠だと。(もちろん、そんな設定を入れようとすれば「本質ではない部分」に時間をとられるわけで、そのバランスは難しいところがあるが。)

    本作は、その辺、しっかり描き込まれているなという印象。少なくとも、描き込もうとする制作者の意図は伝わってくるかと。

    ※1 もっとも、初対面の地球外生命体を人類の味方だor敵だだと安易には断定しなかった点で、ウ○トラマンの世界の住人より両作品の住人の方がよっぽど信用できる
    ※2 というのは野口悠紀夫氏の受け売りなのだけどw

    ※蛇足:ここまで書いて、特撮物はもう観られないなーと感じている自分に気付く。アニメについてはこうもアホみたくおおっぴらにしてるのに(自嘲)

     

    [ストーリーとシナリオ]

    んで、しっかりと確立した「世界観」からストーリーが組まれている(と僕は感じた)本作であるが、そのストーリーから切り出した「シナリオ」(作品内で描写されている部分)※3については、まだちょっと甘いかなと。

    (ここんとこ、ほんとはもっと具体的に書かなきゃなんですがあんまり覚えてないんでごめんなさい。)

    画についても、カットの一つ一つはすごく綺麗なんだけど――逆光を強調するその絵は個人的には大変に好きなんだけど――、それをちょこまかちょこまか切り替えられて右へ左へ視点が動いて延々瞳孔を刺激させられるのを観ていると、まだまだこれからに期待ですかねぇー。(って、てめー(自分)何様だっ(怒

    ※3 このあたりの言葉の定義はdetourist独自仕様ですので念のため

     

    [主題]

    つーことで、 よ う や く 標題の話。「彼女」か、「世界」か――あるいは「自分」か。

    物語はサユリの目覚めと世界の収束によって終わる。が、彼女が眠っていた間に近づいていた主人公と彼女との距離も、喪失されてしまう。結局のところ、「彼」と「彼女」にとってはスタート地点に戻っただけで、何もプラスにはなっていないのだ。 

    もし、自分の人生を生き抜く気があるなら、迷わず「自分」の世界を守るべきであり、それをできなかった「彼」は、今後ずっと、取り返したはずの「彼女」の中に彼が失った「彼女」を見るのであって、果たしてハッピーエンドにはなり得ない。※5

    (日本語に直す(苦笑)と、「彼が救った「彼女」は、彼が救ったことによって「彼女」ではなくなった。」ということでおk?)

     

    なのだけど、失ったからこそ、それを自分の中に留め続ける権利を得るのかも。とも思った。

    ※5 もちろん、「別の」ハッピーエンドは有り得るかもしれない(有り得ると信じたい)けど。

    -–

    関連サイト

    -–

    勝手にオススメ作品:あの夏の日のノスタルジー

    関連作品

    ※6 映画中で引用されてた部分だけならあの朗読で非常にいいと思うのだけど、この詩そのものの背景を考えると、そう朗らかに読むのはちょっと違うんでないかと小一時間(ry。国語と言えば、亀ちゃん(高校時代の国語の先生)は元気かなぁ~

  • 0 Comments
  • Filed under: アニメ, 映画
  • Recent Comments