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2 8月
サマーウォーズ

(C)2009 SUMMER WARS FILM PARTNERS
監督 細田守
製作総指揮 奥田誠治
脚本 奥寺佐渡子
よろしくお願いしまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁす!
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総括すると,筆者好みの雰囲気で大変良かった.登場人物の性格,背景美術の清々しさが実に夏休み映画らしい.あと,松本晃彦のサントラと山下達郎の主題歌だけで号泣できる.
ストーリーとしては,端的に言うと『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』の焼き直し.ただし,今回世界の危機に立ち向かうのは,90歳の大お祖母ちゃんからお腹の中の赤ちゃんまでを含めたとある大家族である.
【家族】
というのはまぁ観てもらってのとおりなので,ここでは自分の話を.
うちの曾ばあちゃんも結構な長寿を全うした人だったので,親類一同を数えるとそれなりの大家族である.子どもの頃はお盆というと,ゆっくり休むどころか掃除に手伝いにとあれこれ働かされるものだという認識だった.ただ,生きている限り寿命からは逃れられないわけで.こうして世代が進むにつれ,全員で集まる機会というのは無くなってしまう.残っている方ももう移動するだけで一苦労だし.
そもそも自分が,大学に進んで地元を離れた結果として,そういうものから疎遠になってきた訳であるが,だからといって,「(こういう人間関係などの)田舎の息苦しさから逃げ出して,身勝手にもそれを羨望している人たち」だというように思われることがあれば,それは心外である.
そうしてふと気が付くと,もう,次の世代が増えていかねばという年になっているのだな.まったく,長男坊は何処で何をしているのだ・・・・・・あ,俺だ.
注意:以下,ネタバレは避けているものの,物語の本質についての言及があります
【広がった電子世界と,現実世界の非対応】
さて,本題.
「ウォーゲーム」では,「世界中と繋がった電子世界」を舞台としながらも,そこに登場するのは「子ども達」だけであった.(これはデジモン自体の世界観なので良し悪しを言うつもりはない).それ故,関係者があれだけ少なくても物語として成り立っていた.というように記憶している.
一方,舞台が「サマーウォーズ」ほどの規模になり,現実世界の文字通り誰もがその世界の登場人物となりうる環境となったときに,本作のように,高々一家族で世界を救ってしてしまえるかというと,ここに個人的な引っ掛かりを禁じ得ない.
キャラクター,設定,演出など,部分部分は大変魅力的なアニメであるだけに,この違和感が際だつ.
【「一体感」の演出】
強いて言うと,「一体感」(の演出).
テーマが「繋がり」であるにも関わらず,重要なところでみんな,結局一人で闘っている.いや,正確に言うと,一人で闘わざるを得ない世界になってしまっている.
もちろん,それぞれの役割分担とか,座敷での一体感とか,「元気玉」(オラに力を(ry)的な協力はあるのだけれど,もうちょっと踏み込んだ演出はできなかったものか.むしろ役割分担を分担させすぎたのが原因か.
力を合わせる者が「同じ」場所にいなければならない理由.
そこさえ強められれば,健二の,主人公としての役割も高まり,存在感(と言うか,必要性?)も強められたのではないかと,ふと思ったのだった.
(例えば,二人が手を繋ぐ場面なんて象徴的なシーンだけど,あれを,あそこではなく,勝負の鍵にできる方法はなかったかなど.これはこれで,強調しすぎると白けてしまう危険性はあるけれど.)
【個人的に】
あと,科学的・技術的演出は演出と割り切ってスルーできるのだけど,社会的・政治的な非現実さは観ていて非常にもどかしいことに気付いたりした.なんちゃって理系人間を自負してきただけに我ながら意外である.
僕としては,子どもの頃はむしろ佐久間が籠もっていたあの部室のような環境に憧れ,大学のサークル・研究室でそれを実体験し,社会人となった今,リアルなコミュニケーションに指向が回帰してきたちょうどそのタイミングであったという点で,本作を観るタイミングとしては最適だったと思う.このお盆には,夏休み取って実家に帰ります.
26 7月
往古来今、これを宙と謂う。四方上下、これを宇と謂う。
(出典: 『淮南子』 巻十一 斉俗訓)
先日「FREEDOM」を観て、そんな話を思い出した。
中学のときに、読書感想文の題材に悩んでいて父親に薦められた『宇宙も終わる』。
宇宙の構造や相対性理論などの話だけでなく、著者が科学に興味を持ったきっかけや、「科学的」とはどういうことかという話が、丁寧に書かれていて面白かった。
そして、宇宙を論じる上で欠かせない相対論。
ここでは『E=mc2』を紹介するが、本書は相対性理論の話でもアインシュタインの話でもない。あくまでも数学のお話。(高校までの「物理」は大学では「数学」)。
さて、宇宙「開発」の物語としては、米HBOのミニシリーズ "FROM THE EARTH TO THE MOON" が傑作。
特に、13号の回は(映画「アポロ13」との差別化の意図があったのだろうが)、メディアに追われるクルーの家族や、対応に苦慮するサブクルーとスタッフが中心に描かれるなど、興味深く、考えさせられるテーマだった。原作の和訳版は『人類、月に立つ』。
また、このドラマのオープニングに使われていたことで、John F. Kennedy のこのスピーチに出会った。次の一節は一番のお気に入り。
We choose to go to the moon (中略), not because they are easy, but because they are hard.
(参照: http://en.wikisource.org/wiki/We_choose_to_go_to_the_moon )
YouTubeでも見られる。(引用部は 8′40”~)
そして、華々しい宇宙飛行士の物語の陰に埋もれてしまいがちな、研究者・技術者の話を読みたければ、『NASAを築いた人と技術』。
宇宙開発の技術がどのように進められ、また、そのための機関がどのように組織されてきたのかを垣間見る一冊。
最後に、ちょっとした宇宙旅行を紹介。
正直なところ、宇宙にあこがれる時代はもう終わったのかもしれない。だけど、当時の想いを忘れる必要は無い。
21 9月
今更ながらシリーズ
「かみちゅ!」

(c)2005 ベサメムーチョ/アニプレックス
「光恵ちゃん」
「ん?」
「私、神様になっちゃった」
「何の?」「わかんない。昨日の夜、なったばっかだから」
「ふぅん。」
神アニメ.いやまぁ,その通りなんだけど(苦笑
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こういうの,大好きだ(笑
何が好きかというと,対象は三つ.
さて,神との交流の物語と言えば「千尋」がすぐに思い浮かぶが,神の世界と人の世界が隔絶されていた点で本作に及ばない.木の穴を転げ落ちたアリスや竜巻にとばされたドロシーもそうだが,「境界」を越えて別の世界に移動する話はあくまでも非日常の物語であって,むこうの世界にいる間はこっちの世界を否定することもできるし,夢から覚めれば(こっちの世界に戻れば)それら(あっちの世界での出来事)はもう「無かった」ことにできてしまう※1.
一方,本作のようにこっちの世界とあっちの世界が混在していれば,安易に他方の世界を否定できない分,設定にもストーリーにも具体性が求められる.もちろん,後者の方が読者・視聴者にストーリーを納得させるのは難しい.この点については「ぽんぽこ」をかなり評価しているのだけど※2,後半,たぬきが人間に迎合※3 しはじめてからつまらなくなったのが非常に残念だ.
(ただし,「無かった」ことにされる心配がないので見ているこっちは安心できる( ̄ー ̄))
それゆえ,「私も小さい頃は(神様が)見えてたし」という祀の台詞(つまり,成長に伴い神通力が弱まる)に,物寂しさが募る.成長とは,得ることと失うことだ.
※1:ただしこれだけは誤解して欲しくない.その体験は,現実だったか空想だったかに関わらず,間違いなく本人(千尋もアリスもドロシーも)に影響を与えた.それだけで十分意味がある.
※2:しかもそれが,リアリティ指向の高橋監督作品であることを忘れてはならない.
※3:と言っても媚び入るわけではなく,全面戦争を始めたのであるが,人間がお化けの類に恐怖を感じるだろうというステレオタイプに甘えてしまった.
(しかし内容はともかく,パッと見が「いかにも」なキャラデザのアニメなんで,こういう記事書くとまた白い目で見られるんだよなきっと・・・orz (わかってるなら書かなきゃいいのに.という話でもある.))
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